選択と集中、成り行きと分散

 最初は成り行きと分散から始まります。子どもの興味関心は無限大。しかし、次第に時間と体力が足りない、などの制限を感じるようになって、成り行き任せの無限の分散はもの足りなくなり、すこし突き詰めたいと思い始める。

選択と集中が大事!

 そこで選択と集中に舵を切る。ある程度進んでいくと、選択したことによってその1つをしっかりと理解できる。ワクワクしてどんどん極めることが出来る。しかし途中で研究に行き詰まる。なかなかそれに興味を持てないし、なんだかもう大分わかって、底が割れてしまったような気分になる。それでも続けようと努力する、なぜなら選択と集中こそが、正解だと教わるからである。1つのことを突き詰めてこそプロだと教え込まれているからである。

ところが、成り行きと分散が大事!

 しかし、人間は環境の生き物である。本来は自然環境に合わせて変化していった個体が生き残っている。状況が変わればまた自分も変わっていく。新しいことに挑戦してみるのである。また成り行きと分散である。しかし、成り行きと分散で、まったく畑違いのところに来たのに、それが今までやってきたことに通ずるものがあることが見えてくるのである。そして新しい領域でこれまで一所懸命研究してきたことが転用できる、と気づく。逆に、畑違いで得た知識と経験が、本来の研究にいかせてブレイクスルーとなって次のステップに進む、どちらもある。

選択と集中が大事!!

 ところがである。いろんな分散をしマルチに研究していくと、どれも面白い。どれもまた深みがあるのである。また自分の可能性のドアをどんどんと開けたいとも思う。しかしこのあたりで、また自分の残りの人生をかけてどのくらいの積み上げが出来るかな?と思う。それを自分が一番楽しいと思える分配で進めたいと思う。また選択と集中するのである。

 いったん、積み荷を降ろして取捨選択、断捨離である。ここでもう少し包括的なテーマに変えることもできる。統合させて一段上の目線から見たら「分散」にあたると思っていたものが、十分「集中」と言える狭さだったりすることもある。そういった戦略、戦術レベルでの調整を行う。

時間軸における、選択と成り行きの移り変わり

 今にフォーカスすると、選択と集中なのか、成り行きと分散なのか、という議論になるけれど。人生の時間軸に載せてみて交互に行っていれば、全体としては「成り行きと分散」なんだなと思う。季節が変わり、毎年違うようで、それでいて同じということもある。何万年も同じことがくり返された来たかもしれない。そう思うと「生きる」という1つのことに集中しているとも言えるかもしれない。

 つまり時間軸と視点の取り方でしかなく、たいした話ではないのかもしれない。ということである。

最近は文章を修行中

 2024年冬からYouTubeはやめて、この3ヶ月はせっせと文章を書いている。このブログの連載以外でもかなりの量の原稿が書けるようになった。大進歩である。

 動画とブログなどの発信を始めて丸2年の間に、やりたいことがやっとおぼろげながら理解できた。これもやってみないと分からないものである。

 発信や創作を通じて、どういう結果が欲しいのか、何を目指してるのか?というのもやっと分かってきた。

「自分のこと、分かってるつもりで、まったくわかってなかったな〜」という感想である。

選択と集中の便利なポイントは、その期間早く実験ができる、ということだと思う。

「しゃべらない方がめちゃめちゃ書ける」と思ったのである。日頃からしゃべり過ぎなのである。今は書くモードで集中して修行中である。